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手筒花火の歴史と由来



点火とともに天に向け高く立ち上る火焔。
飛び散る火の粉を体躯に浴びて手筒を支える勇姿。
闇夜のなかに浮かび上がるいくつもの炎の柱。
ひとしきり続いた放揚は轟音とともにもとの静寂へ。

今に伝わる古来の響き 「手筒花火」 その歴史と由来

 花火と一口にいっても、夏の夜空を彩る打ち上げ花火から文字や形を細工した仕掛花火など種類は多種多彩です。ここ東三河と一部遠州地域にのみ伝わる「手筒花火」のほかに、これほどまで勇壮で心を沸き立たせる花火があるでしょうか。
 東三河の人の心を捕らえて放さない「手筒花火」の歴史は古く、吉田神社に保存されている記録「三河国古老伝」に「永禄元年天王祭礼祀ノ花火ト云フ事始メル」とあるように花火がこの地で始まったのが、今からおよそ450年前の1558年ということで、また「吉田神社略記」においては、「花火ノ創始ハ羽田吉田綜録ニ永禄三申庚年(1560年)今川義元公吉田城城代大原肥前守知尚公花火ヲ始ムトアリ、花火の尤古ヨリ用ヒラレシハ流星、手筒トス然レドモ其ノ大ナル者ナシ、次デ建物(仕掛花火)綱火等用ヒラルルモ亦然リ、建物ノ巨大ナリシハ元禄十三年(1700年)一シテ手筒ノ雄大トナリシハ正徳元年(1711年)ナリ云々」とあります。
 その後、手筒花火は市勢の拡大とともに拡散し、氏子らによって五穀豊穣や無病息災、家運隆盛、武運長久を祈る各地区の奉納行事として、若者の勇気の証や成人となる門出の儀式として、脈々と民俗文化として伝承されてきました。現在豊橋市内では、豊橋祇園祭や羽田まつりといった祭礼のほかに、校区や町内を単位とした形で、また新たな地域においても「手筒祭り」の復活と伝承が図られています。
 手筒花火は、奉納者自らがその製造から放揚までの全工程を手作りで行うという数ある花火の中でも特異な伝承文化です。この「炎の祭典」により、勇壮華麗なこの民俗文化が今後ますます発展することを願ってやみません。